昭和五十一年七月二十五日 朝のご理解


 御理解第八十三節「一年に分限者になるような心になるな。先は長いぞ。一文二文とためたのは、みてることはないが、一時に伸ばしたのはみてやすい。神信心をすれば、我慢我欲はできぬぞ。ぬれ手で粟のつかみ取りの気を持つな。人より一年遅れて分限者になる気でおれ。」


 我慢我欲は出来ぬとおっしゃっておられる。中々難しいことだと思うです。
 昨日、大分の本田さんがお参りされて沢山山を持っておられます。それで山の仕事を一日一生懸命働かれて、夕方暗うなるまで働かれるそうです。ところが主人がやかましく言う、娘がやかましく言う、もう少し早くきりあげてこいと言いますけれども、これからこれまではしてからと初めから決めとりますからそればしてしまわなきゃできません、大体どっちが本当でしょうかと言うんです。そりゃあんたの我慢我欲ばいと私が申しました。せっかく娘も主人も少しでも体を楽にさせようと思うて言いよるとじゃから、そして夕方早くきりあげて夕方夕飯の用意でもさせてもらうというふうがほんなこと。
 これからこれまではせにゃならん、というそれが我慢だと、そしてそれにはこれからこれだけしたらいくらがとなると言ったようなね、それが我欲だと。金光様の信心はそんな風でお金ができたとか、がまがえをしたというのはほんなものじゃない。我慢我欲でもうけたのはほんなもんじゃない。それと同時に、一年で分限者になるといったような心を捨てなければならん。いうならば、濡れ手で粟のつかみ取りといったようなことでは信心に悖るというのです。ところがどうでしょうか。こういうような心がお互いないでしょうか。
 ね、商売なら商売をさせていただくでも、何か一つあてたい、そしていっぺんここに大きな収益を得たい。そのために一生懸命信心もしとる、修行もしとる、まあ一生懸命願いもするからおかげをいただいたにいたしましてもそれは本当なお道の信心の御流儀に基づいてのことじゃないと思うです。商売繁盛なら商売繁盛に余りにも願う余りにです、ね、今まで例えば百円儲かりよったのがいっぺんに二百円も三百円も儲かりになるような例えば願いを持つというなら、これは濡れ手で粟のつかみ取りの気になっておる。
 ね、それこそ神様のおかばいを頂いて、それこそ一年勝りにおかげを頂いて行く、だんだんおかげを頂いていくという生き方。人より一年遅れて分限者になれと言われる。人よりか一年早う分限者になろうというので一生懸命お参りもしよります、拝みもしよりますというのは全然御教えに基づくことにはなりません。人より一年遅れて分限者になれと言われる。
 今日、私御神前で頂きましたことはもう三十年も前に頂いた御神願をそのまま頂いた。まだ私が椛目で人が助かるという以前に、どこに困った人がいる、難儀な人がいると言うと、聞き伝えてお話しに行っておる時分でした。その頃正義先生のお姉さんにしげるさんという人が熱心にまあ私フアンでした。親教会から正義さんの家に月に一回ずつお話しに行くんです。まだ茂雄さんあたりは信心がないときです。それで正義さんところのお父さんもまだおられる頃でしたが、茂雄さんにそん時に話された、茂雄いっぺん椛目の大坪さんの話ば聞いてみれ、俺は信心はできんばってんこの人は近い内に甘木の先生ごとなる人ぞ、いっぺん話ば聞いてみれ、とまあ伯父が言いよりましたけれども聞く気もしなかったけれども、その後においてご縁を頂かれたわけですけれどもね、その時分の話です。
 丁度上滝さんの道江さんとそのしげるさんですね、正義さんの姉さんとが小学校からの友達です、主人が病気しとっちゃると聞いとったけれども、ちょうど大城橋のところでばったり会って、もう大変主人が難しい、俗流結核でどこに参ったっちゃ助からんといわっしゃる。もう先日もどこどこにえらいあらたかな御不動さんがござると言うんで参ったら、もうあんたがたの主人はあの世行きの準備をしよんなさる、もうちゃんと死に装束をしてかたっぽの草鞋を履いてかたっぽの草鞋が結ばれた時がなくなられる時だからもうあきらめさせたがよかばのとおっしゃった。
 その話を聞いて、そんならいっぺん金光様の御信心をしなさい、いっぺん大坪さんの話を聞きなさいというて、そんなら話ば聞かんならんばってん病人がいるからお参りもできんが、なら近くに北野の教会があるから、北野の教会に参ってとにかくいっぺん大坪さんの話ば聞きなさいと言うのが私と上滝さんのいわば出会いでした。
 そりゃあもう本当に私驚きましたのは、もう部屋が密封してあるわけです。俗流結核というんですからもうエプロンをいっぺんいっぺんに消毒しなけりゃいけない。もちろん茶碗でもなんでももう家のものは絶対いれない。それに入りましたらもうそれこそ外国のようにしてお腹がほげてずっとそこから膿が出ておる。もう言うてももちろん返事もできない。というような大変重体な病人さんでした。 床の間に御神米、お剣先様を祀っとりますから、御神米入れを立ててそれから御祈念をさせてもろうて、そしたら私が頂きますことのもうこれは腐ったぶどうのようなものだと。だからね、普通でいうならば掃きだめ行きか、火葬場行きだというわけなんです。けれどもここに一つね、お前の信心でこれをひとつ、私はその時分本当に寿命、命というものは神様が下さるもんだ、この肉体も神様が下さるならば寿命も神様のものなんだとだから本当に神様のものならば神様が創んなさったこの体だから神様が創り修繕してくださるということができなさることに違いはないから、どうでも一つ助けて頂かなくてはいけない、でなかったら神様のそういう私共が頂いてきとる御教えというものが嘘になる。
 どうでも助けて頂きたいとお願いさせて頂いたらこの腐ったようなぶどうだけれどもこれを大きなカメの壷の中に入れてそして水をくんでそして上から封印してくくっとく。そすとこれが発酵して腐るはずのがそこからアルコール分が出てブドウ酒ができるという表現のお知らせを頂いた。そん時の壷をそのまま今日お知らせ頂いたんです。久大の結核の権医と言われる何とかと言われる先生がその後何日か後にみえてから、もう時間の問題だと言われて帰られた。そんなにひどい。
 それから私が毎日丁度暑い盛りでしたが毎日毎日お話しに参りました。まあ聞きよるか、聞きよらんか分からんごたるその状態ですから分からないですね。それでも段々おかげを頂きだした。そしておかげを頂いて西鉄に勤めておりましたが西鉄に復職ができるというほどしのおかげを頂いた。もうどんなに考えても奇跡ということになりますけれども、お話しはいろいろありますがです。そして西鉄に復職して一年余りそれこそもう肥え膨れちから、中々の美男子でしたがおかげを頂くようになりました。そして勿論その時分に上滝さんは一生懸命朝の私が御祈念をさせて頂く御祈念前に参って来て外から拝んでいく。または時間があると御祈念を頂いて帰るといったような一生懸命信心をいわばできました。いうならばじっと辛抱しぬいてそのこれがアルコール分になるアルコールになるほどしになるまで辛抱しぬいたわけです。
 そして一年間あまりは西鉄に復職ができてもう本当に健康そのもののおかげをいただきましたけれども、あることからもうあっというまに亡くなりました。あれはもう本当にわたしはあの時のことを思い出しますと、まあだあん時は信心ができてなかったと思うんですけれども。今大和さんのお父さんがお届けに見えました。朝まだ休んどりました。上滝さんが亡くなられましたと聞いてもうびっくりしましてからね、御神前に出るよりかつーっと便所に入ったです私は。そして便所にはいって心ばじっと落ち着けてからじゃないと神様の前には出られんと思うたから。もうあれほどしにおかげを頂いてのことですから、なるほどお知らせはいただいとりました。あの赤玉ポートワインが白玉ポートワインになるところを頂いたですもんね。
 その前のちょうど高山さんのところの共励会の時でした。けれどもこっちが赤玉が白玉になることが御霊境ですね、神様の赤が白になる、だからあの当時白玉ポートワインがお供えになると必ず誰かが死ぬという位にいった時代がある位でした。それから久富先生の所に共励会の時にいってもう元気で私が泊まりがけでお話しをしよりましたから、もう泊まって朝休んどりましたら上滝さんがやってきてから、今から勤めに出よりますと言うて私が二階に休んどるとに二階に挨拶にきてから、そして私の手を握ってからいってきますと言うてから下へおりたんです。そのおりた時に私がもう大変なお知らせを頂いたです。だから私は駆け降りてきてから「上滝さん、今日こげなんお知らせを頂いたからしっかり信心してから」と言うたらはあはあと上の空のごと聞いて行きましたがね。あそこの共励会が二十四日でしたから、二十五日の朝私は上滝さんと握手をして別れてそういう大変なお知らせを伝えて、二十六日の土井の正義さん所の共励会の日に亡くなりました。もうそれはあっというまでした。
 そしたら丁度今朝は合楽に久しぶりにお参りしとらんから、上滝さんがお参りをしようと言うた、そしたらそげんお前またでええじゃねえかと言うてから立ち上がった、起き上がったとを引っ張ったのと息の切れたのと一緒でした。これは上滝さんから聞いた話ですがね、これは本当にあっというまでした。しかし神様のおかげを頂いたということだけでもね。そしてその後の信心が今日まで細々長く続いておるわけですけれども。私はね、今日の我慢我欲ということはこの上滝さんという人はそういういっぺんもう通るところを通らして頂いて神様の間違いなさを確信してそしてそれから家業の行であるところの百姓、そしてシャンソンの外交をしましたね、あの化粧品の。
 そして四人の息子をそれぞれに育てて大学にやってそれぞれ嫁を持たせたり養子にやったりもう全ておかげをいただいてる。そして立派な普請をしました。去年はまだおばあちゃんがおられますが、おばあちゃんの隠居部屋というのもそりゃあ見事な茶室風なはなれを作りました。本当におなごで一つでどうしてあげなことができるじゃろうかというごと、ところが年々歳々おかげを頂いていったんです。そして我慢我欲をしてないということです。
 この人の場合は今日私はそのお知らせを頂いて今日このところの我慢我欲というところに頂いたんですけれども、我慢我欲一年一年おかげを頂いていった。それも例えば今自分がこげん儲け出そうとかこげなん立派な家が出来るなんて夢にも思わなかっただろうと思うんです。ところが万事万端の上にご都合、お繰り合わせを頂き、子供達も出来がよい大学を卒業するとよいところに就職をするというような風で長男はお父さんが勤めておった西鉄に勤めるようになって、そして嫁ごが良うしてもうとにかく三十年になりましょうが、一年一年おかげ頂いていったんです。
 例えば人が十円儲かるときには二十円儲かるのがおかげ人が一年でおかげ頂くとが半年でおかげ頂くとがおかげのような考え方が心の中にあって信心をいくら一生懸命しとってもです、それは我慢我欲ですから本当のおかげにはならんということであります。一生懸命地団駄ふんでお願いするからです、そりゃ金銭のお繰り合わせでも商売の上でもお繰り合わせ頂きますけれども、人より一年遅れて分限者になる、ならそういうとを人より一年遅れて分限者になろうとも思わなかったでしょう。
 けれども私はこの人のことをじっと思ってみてからなるほど我慢我欲がなかったなと思います。それは中々実にしみったれという位に細かいです、この人は。これは竹輪一本の切り方でも、マヨネーズ一つの使い方でも全然この人の使い方は違うです。いわゆる理詰めがいいです。そりゃ女子で一つであれだけのことをやってきた人ですから実に理詰めがいいです。嫁御たちにも子供達にもそういう教育をして、それこそ一年勝りに伸ばした財産です。
 そりゃもういっぺん行ってみなさい、そりゃもう立派な家がたってます。庭も合楽風に周囲を全部庭にしました。中庭もつくってます。茶室風な前には本当の庭にをつくりました。ぐるりぐーっとが合楽風に、だから合楽の小型と自分でも言うです。ね、もう絶対借金どもして物を買おうなんてんもう絶対しない人です。いわゆる一年勝り代勝りのおかげを頂いておる。
 先日、親先生ほんにわずかばかりではあるけれども永年これだけはお供えと思うてずっとためて来た貯金がございます。それがすぐに満期になりますので、これは通帳のままお供えさせて頂くというてお供えにもってきました。とにかくお供えでも理詰めが良いです。ね、この人の信心が華やかな信心とかやぁっとか言うたような信心はしませんけれども、今日のご理解で、いうなら一年一年おかげを頂いてきたことと、特に我慢我欲がなかったということと、そういう例えばおかげを頂くときは神様を確信しておる。
 だから人が例えば上滝さんの親戚が西鉄ですから一時金が下がった時なんかは親戚の親やら兄弟やらがね、それをちっとばかり貸せとか分けれとか言うてきたんです。けれどもこれだけはもう絶対私は神様まかせじゃから、親先生が貸せと言われるなら貸そう、やれと言われるならやろうばってんとにかく御神意を頂いてからのことにして下さい、もう貸すでもそうでした。そしたら神様はその時頂いたご理解にね、これがお父さんと思うて、決して放しちゃならんと、今でも放さぬままに預金してあるです。
 そして何かという時にはいちいち御神意を伺うてからしかいたしません。私は通るところを通って神様の計画、もう時間の問題と言われるような病人でも助けてくださるだけの力のある神様だということをまず根本において、そしてなら自分が我慢我欲をせんじゃない、生き方がそうだったということですね、まあ考えてみると。我慢我欲をせずにです、実にすんなりとおかげを頂いてきておるということです。ね。
 必ず正月の二十四日には必ず謝恩祭を致します。もうそれこそ思いを込めていたします。沢山な華やかなお祭りじゃ決してありません。けれどもそれこそもうこれ以上思いは込められまいというごと、細かいところに気を使うて年に一回の謝恩のお祭りを致します。もういうなら三十年間続いとるです。そして行くたんびにいうならば部屋が立派になり、人部屋ずつできていくというようなおかげを言わば頂いて、おかげでお庭までそんなにいわゆる大和さんのすぐお向かいの家ですから、ね。
 まあ色々細かいとこもありますから、けれどもするところはする、いうならば美しゅうせなんところは美しゅうする、けれども汚のういかにゃんところはもうギリギリ汚のういくといういわゆる始末倹約するといった方ですね。だから今日私が御神前で頂いたそのこととこれとがどこからつながるだろうかと思いましたらです、我慢我欲ということを頂いたです。だからこげんやって一生懸命お参りをしよるばってんですね、人より一年遅れて分限者になりゃよかといったような気持ちじゃなくて、人より一年位信心しよるから早うおかげ頂かんならん、一時でん早うおかげ頂かんならんから一生懸命参るのであったらこれは我慢我欲だということを今日は聞いて頂いた。
 中々理詰めが良いでしょうが。お供えでんなんでんいっぺんにがばっとお供えはせんです、それよりも私もそりゃこの頃それをお供えされてから始めて聞きましたけれども、ね、永年にわたってせめてというものが積み上げられとったのがお供えになっとります。ね。私共が信心させて頂いてたいてい詳しく教えも頂いてきておるけれども、私共の生き方の上には我慢我欲があるのじゃないでしょうか。主人が娘がお母さんを少しでも楽させようと思うてからそげんつういっぱい遅うなるまで働いてこんでんと言う、いいえ、これからこれまではせにゃならん、というてしてくる。どちらがほんなことじゃろうかと。と本田さんが言われる。
 だからあんたのそれが我慢我欲ばい、と言うて昨日お話ししたことでございましたけれども、ね、そういう生き方は我慢我欲です。だから我慢さえすればいい、働きさえすればいいというのじゃいかん。我慢我欲ではいかん。ならお金を頂くということでも、ね、それこそ人より一年早うおかげを頂かなければ信心しておっていつまででも貧乏しておると、いうならば神様にたいしても相済まんから早うおかげば頂かかして下さい、そげなことで神様は乗んなさる神様じゃ絶対ないです。それこそ神様のお言葉がもし下るなら人より一年遅れて分限者になれよと言いなさるに違いないです。
 それをね、それを感じてまたそういう御教えを頂いてというわけじゃないけれども、なら上滝さん一家の在り方を見てです、ああいう生き方が我慢我欲がない生き方だなということを改めて、今日その腐ったブドウを壷に積めて、そしてブドウ酒をつくるという三十年前に頂いたお知らせを今日頂いて、ね、今私共が頂いておるいよいよ太くならなければという今月の焦点ですけれどもじっと我慢してそれをぶつぶつも言わずにこうやって、ね、締めておかねばね、有り難いものが育たんです。
 ね、今月の信心の当てはまるとこです。だから我慢我欲ということをもういっぺん私共が頂きなおしていかなきゃいけないということでございます。ね。一年に分限者になる気になるなと、果たして私共が一年に分限者になる気がないかどうかを確かめてみる。そすとあります。それこそ百万円、まあ百万円じゃないでしょうけれども何百万か、一千万あるかもしれませんけれども、例えば宝くじでも買いたいような気持ちが心に起こるならばです、あなたは一年に分限者になるという気持ちがあるからこれをいっぺん捨てきらねば本当のお道の信心の繁盛ということにはならないということを一つ分かって頂きたいとを思います、どうぞ。